秦梨城山城 (はだなししろやまじょう)
最寄地 愛知県岡崎市秦梨町渕脇56 2023.1.15
秦梨城山城 (はだなししろやまじょう)
最寄地 愛知県岡崎市秦梨町渕脇56 2023.1.15
登城ルート(緑線は車道)
民家前にある南朝忠臣の碑
縄張り図
ここから登る
沢の上部を右へ
二郭
主郭南側の堀切
主郭・櫓台
北西の帯郭
秦梨城山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 秦梨城南方約700mの乙川左岸にある標高約117mの山頂に築かれている。
南北2つの郭とその間の堀切がよく残っており、北側の主郭は中央が高くなり、北西に帯郭が見られる。
【案内】 県道35号線より狭い道を南下し、「河合北部処理場」(表記番地)より南に行った福正寺墓地に駐車できる[マップコード51 705 242*20]。
20m程戻った墓地から山道があり(地図)、谷津の畑跡左を登り、沢が終わる所から右に横断しそのまま谷筋を進むと城山が見えている。
県道35号線の乙川に架かる橋南の西にある民家(秦梨町向田55)前に南朝忠臣の碑が建てられている[マップコード51 704 388*56]。
【歴史】 粟生(あおう)師広は鎌倉時代末の嘉元三年(1305年)に三河守護・足利氏の被官として、秦梨子郷の郷司職に任じられた。
築城時期は定かでないが、居館と山城とも戦国時代と考えられている。