宮地城 (みやぢじょう) (小馬場の城) (市の史跡)
最寄地 岐阜県下呂市宮地288−1 2018.10.8
宮地城 (みやぢじょう) (小馬場の城) (市の史跡)
最寄地 岐阜県下呂市宮地288−1 2018.10.8
登城ルート(緑線は車道)
宮地神社登り口
稲荷神社
神社東側の登り口
外堀跡
内堀跡・主郭切岸
主郭・御嶽神社
城跡標柱
宮地城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 下呂市宮地の標高592mの尾根頂上にあり、細長い主郭には御嶽神社が祀られ、前後に堀切がよく残っている。
【案内】 国道257号線「宮地」交差点より東に行った、竹原公民館(表記番地)の裏、宮地稲荷神社横に駐車スペースがある[マップコード772 335 545*34](地図)。
神社階段を上り、拝殿右を下ると、登り口があり尾根の南側に御嶽神社参道がある。
約15分登ると、「外堀跡」があり、その上段に内堀のある主郭がある。主郭には御嶽神社が祀られ、城跡標柱が建てられている。主郭東側にも堀切がある。
下呂市の史跡に指定されている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)に三木正頼によって築かれた。
応永十八年(1411年)姉小路尹綱を討伐した功によって、京極高員(高数)が足利幕府より飛騨国竹原郷を賜り、三木正頼が京極氏の代官として竹原郷に入部したことにはじまる。
三木正頼は京極氏によく仕えたが、2代久頼の代に竹原郷を横領し、その後も勢力を拡大し、重頼・直頼・嗣頼・頼綱(自綱)と続いた。
4代直頼の頃、桜洞城を築いて宮地城より移った。
天正7年(1579年)6代三木自綱の代には松倉城を築いて移り、桜洞城を冬城として飛騨に君臨した。
宮地城は三木氏が居城を桜洞城へ移した後も一族が城主をつとめ、天正年間(1573~92年)頃には三木良頼の弟三木頼一が城主であったという。