神山城 (こうやまじょう)
所在地 三重県松阪市中万町1717 2016.4.3
神山城 (こうやまじょう)
所在地 三重県松阪市中万町1717 2016.4.3
登城ルート
県道横登り口
神山一乗寺
堀切
空堀
本丸跡・三角点
腰郭
県道高架下の神社登り口
神山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【案内・感想】 県道701号線より大きく左折した県道701号線高架下(地図)と県道701号線横(地図)に登り口がある。
後者は登り口に1台やっと駐車できるくらいで、前者の方が余裕あり、一乗寺文化財の説明板が建てられており、こちらを薦める。住職の話では、車道もあるが、未舗装でぬかるほどの狭い悪路であるらしい。
参道を登ってゆくと、神山一乗寺(表記番地)があり西の墓地より登ってゆくと、堀切があり空堀が残る本丸跡がある。
20m四方ほどの平坦地で三角点があるのみで、樹木に「神山」の標識が括りつけられてある。南に腰郭跡がある。
【歴史】 南北朝時代の1337年(延元二年/建武四年)、北畠親房の配下潮田幹景により南朝の拠点のひとつとして築城された。
1339年(延元四年/暦応二年)八月、後醍醐天皇の死に乗じて、高師秋が城を囲み攻撃を加えたが、潮田幹景、加藤定有、藤原兼隆らが防戦して、翌月になると城下へ進撃し、愛洲宗實や鹿海興時らと協力して、立利縄手(現在の松阪市朝見町)において敵を撃退した。
1342年(興国三年/暦応五年)一月に再び高師秋、佐々木高氏が攻め込んだが、加藤定有、藤原兼隆らが防戦して退けた。
1343年(興国四年/康永二年)、北朝の仁木義長らが加わった攻撃により落城し、仁木義長が入城した。
なお、城の東側山腹には神山一乗寺が置かれ、現在も室町時代に北畠家が発した制札が3点残されている。