小田野城 (おだのじょう)
最寄地 山梨県山梨市牧丘町西保下3631 2015.11.22
小田野城 (おだのじょう)
最寄地 山梨県山梨市牧丘町西保下3631 2015.11.22
登城ルート(緑線は車道)
登り口・直進
4合目の郭・土塁・石宮
堀切
虎口
主郭
二の郭より主郭方向を見る
小田野城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【案内・感想】 駐車スペースは少ないが、「小田野公民館」前に1台駐車可能[マップコード59 862 545*52]。普門寺境内にも狭いが駐車場がある。
普門寺(表記番地)の墓地(目印は家の墓)の南端(地図)から、登ると獣除けフエンス入口がある。
扉を開け閉めて登ると、比高約80m(4合目)付近に新しい石垣が積まれた郭跡(三の郭跡)(地図)があり、2基の石宮が祀られて、土塁が西側にある。そこより、ひたすら西に登ると竪堀があり比高約170mのピークがある。
細長い平坦地が50m程続き、更に登ると、左右に竪堀があり、自然石を利用した虎口と思しき場所があり、そこを登ると標高883m比高約210mの小田野山頂上に着く。
三角点があり右手の樹木に「小田野山883m」の標識が張りつけられている。東西約20m南北約30mの主郭があり、南に二の郭がある。土塁は見当たらなかった。
昭和51年3月30日、山梨市の史跡に指定された。
【歴史】 平安末期から鎌倉初期にかけて、安田義定が拠点としたと伝えられている。
『王代記』には「跡部上野守西保小田城ニテ腹切」とあり、寛正年間(1460~66年)に使用された記録がある。
山麓周辺には、御所・城下・馬場・亥申屋敷・新沢屋敷・金屋敷・大木戸・的場などの地名が残っている。
【構造】 遺構は、山頂に残る2つの平坦地を中心とし、西と南に延びる尾根上に計4つの郭を配するほか、帯郭を幾重にも設けて防備を固めている。
土塁は、東の4合目尾根の先端に位置する三の丸と呼ばれる郭にのみ見られるが、後世のものと推定される。『山梨県教育委員会』