井田城 (いだじょう)
所在地 愛知県岡崎市井田町城山 2014.12.9
井田城 (いだじょう)
所在地 愛知県岡崎市井田町城山 2014.12.9
城跡公園南側
城址碑
井田野古戦場の説明板
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道248号線「井田新町西」交差点より東に約300m行った井田公園駐車場に駐車し[マップコード51 815 000*68]、井田公園運動場南端道路を東に行き、交差点を直進するとすぐ左に城山公園の階段がある。公園内に城山集会所があり、城山稲荷がある(地図)。
その横に「井田城趾」の石碑(昭和五十一年)が建てられ、裏面に「井田城の伝記」が刻まれている。岡崎城の北方2㎞にあり、その防衛拠点のひとつであった。
東方に二の丸、南方に城下集落があったようで、戦国期の城郭として整えられたと考えられ、近くの居屋敷など周辺にも酒井一族が居たと思われる。
北東300mにある西光寺(岡崎市鴨田町向山38−1)に井田野古戦場の説明板があり、近くに千人塚がある。
井田野では、応仁元年、明応二年、天文四年、永禄三年等に合戦の舞台となっている。
【歴史】 松平氏・徳川氏の始祖とされている松平親氏の孫で酒井広親の子・氏忠から左衛門尉忠勝・康忠(康親)・忠親・忠善・忠次までの酒井氏5代の居城となった。築城年や廃城年は不明である。
徳川四天王の一人、酒井忠次は大永七年(1527年)井田城内で出生している。
天文四年(1535年)の森山崩れ(岡崎城主松平清康の暗殺事件)の後、尾張の織田信秀が井田野へ攻め込んだ時、酒井忠次は井田城から尾張勢を迎え討つため出陣した。