上関城 (かみせきじょう) (荒川城)
所在地 新潟県岩舟郡関川村上関 2017.10.9
上関城 (かみせきじょう) (荒川城)
所在地 新潟県岩舟郡関川村上関 2017.10.9
城址碑
桝形西付近から入る
2郭・3郭間の空堀
主郭・L字形空堀
主郭西・2郭間の空堀
主郭南・3郭間の空堀
主郭・L字形土塁
3郭・空堀・桝形
上関城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 関川村上関の荒川左岸に築かれた崖端城で、3つの郭と桝形で構成され、各郭を隔てる空堀がよく残っている。
【案内】 国道113号線より県道307号線に入り、北に100mほど行くと右側に「上関城址」の石碑(裏に由来文)が建てられている[マップコード250 024 301*85]。
石碑の背後が2郭で、北東にL字型の空堀・土塁に囲まれた主郭がある。空堀で隔てて南に3郭があり、2郭3郭に接する形で南西に桝形・空堀・土橋がある。
【歴史】 鎌倉時代初め筑後国三瀦(みずま)荘出身の三瀦左衛門尉は、桂南と呼ばれる関所の関守としてここに居を構え、子孫は荒川左岸台地から長峰にかけて築城、上関以東上流の統治に当たった。
康永三年(1344年)三瀦(みずま)左衛門大夫は越後守護上杉氏の指示により土地争いの調停役をつとめ、長禄三年(1459年)孫二郎は越後守護に従って上野国に遠征している。
文明十三年(1481年)三瀦次郎右衛門は弥彦神社の修築にあたり棟別銭割当の相談役にその名を連ねた。
天文二十二年(1553年)三瀦掃部介は上杉謙信の旗下にあって信濃国下米宮で甲州勢と戦い功を上げた。
慶長三年(1598年)三瀦左近助長能は上杉景勝に従って会津へ移り、後に小国城代となった。子孫は米沢藩士として幕末を迎えた。『石碑文』