今江城 (いまえじょう) (御幸塚城)
所在地 石川県小松市今江町6丁目167 2018.6.16
今江城 (いまえじょう) (御幸塚城)
所在地 石川県小松市今江町6丁目167 2018.6.16
城山公園
櫓台
城趾碑(由来文付)
西側下段の公園
今江小学校
今江城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 市立今江小学校一帯にあった平山城で、周囲に堀があったというが市街化で消滅し、櫓台など雰囲気はあるものの遺構はほとんど見られない。
城山公園の最高所に元総理大臣岸信介の揮毫による城趾碑が建てられている。
【案内】 市立今江小学校(表記番地)一帯が城跡とされ、南側の城山公園に「今江城趾」の石碑が建てられている[マップコード120 472 170*10] 。
【歴史】 建武二年(1335年)富樫高家が加賀国の守護職につき、その後築城した。富樫氏が野々市に居館を移すと、一向一揆勢の拠点となった。
天正四年(1576年)織田信長の武将柴田勝家の家臣佐久間盛政に攻略され、盛政が城主となった。
天正八年(1580年)盛政は尾山御坊を攻め落し金沢城と称した。
天正十年(1582年)本能寺の変で織田信長が討たれると、再び一向一揆が占領した。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉に攻められ、落城した。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの際、前田家の一部隊がここに布陣し西軍の丹羽長重と浅井畷で戦った。