和知城 (わちじょう) (稲葉城)
所在地 岐阜県加茂郡八百津町野上93 2017.8.24
和知城 (わちじょう) (稲葉城)
所在地 岐阜県加茂郡八百津町野上93 2017.8.24
説明板
稲葉城公園案内板・城趾碑
和知城趾碑
模擬門
空堀・橋
空堀・橋
本丸
本丸・展望台
稲葉城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 木曽川とその支流石川に挟まれた台地上にあり、北東の台地基部を深い空堀で区画された要害となっている。現在は稲葉城公園として一般開放されている。
【案内】 国道418号線と県道350号線の「野上」交差点の西約100mに案内板、和知城趾碑が建てられており、南に行くと見学駐車場が用意されている[マップコード70 508 317*48] 。
三の丸に駐車場、模擬門が建てられ、本丸、二の丸は稲葉城公園となっている。
深い空堀がよく残っており、井戸が橋の先にある。南側に展望台が建てられ、小曾川が望める。
土塁上には、説明板、城址標柱が建てられている。
【歴史】 天正十八年(1590年)八月頃、美濃国安八郡西保城(現安八郡神戸町)の城主・稲葉右近方通が、この地に着任築城し、和知城(通称稲葉城)と称した。方通は稲葉良通(一鉄)の子である。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで、方通は東軍に属して功を立て、和知、野上、上牧野、細目、久田見4431石を賜った。
元和三年(1617年)尾張藩主に所属し、久々利村領主千村氏と同席同列となった。
その後、主計知通(仙斎)、右近正通、右近良通と城主を継承したが、嗣子なく良通が他界した為、幕府は良通の外孫の右平次屋通に相続を命じ、相続させた。
しかし、右平次屋通も嗣子なく延宝四年(1676年)に他界した。そのため、お家断絶となり、所領は尾張藩に帰属し廃城となった。