大草城 (おおくさじょう)
最寄地 愛知県知多市大草東屋敷37 2014.12.11
大草城 (おおくさじょう)
最寄地 愛知県知多市大草東屋敷37 2014.12.11
説明案内板
本丸・展望台
本丸・土塁
水堀
大草城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 津島神社(表記番地)前に駐車場がある[マップコード152 085 455*55]。
城址は現在整備されて「大草公園」となっている。西に下ると、水堀に囲まれた、北に二の丸、南に本丸がある。
水堀の北に三の丸がある。二の丸、本丸は土塁がよく残り、本丸南西に二層模擬天守風の展望台が建てられている。
【歴史】 天正二年(1574年)、この地を有していた佐治信方が長島一向一揆で戦死し、跡継ぎの佐治一成が幼少だったため、織田信長の弟で後に茶人としても名を挙げた織田長益(有楽斎)が知多郡と大野城を与えられたが、大野城は水利が悪いため大草の地に築城を開始した。
天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦い後、長益は豊臣秀吉により摂津味舌(現大阪府摂津市三島)に所領を移されたため、大草城は完成することなく、未完の城のまま廃城となった。
江戸時代に入ると、尾張藩は大草城跡を知多郡の防御上重要な地として、家老の山澄淡路守英龍に大草の地(5千石)を与え、寛文六年(1666年)城址の南西方に居を構えて城址の保全をさせ、歴代の山澄氏によって保存された。