小丸山城 (こまるやまじょう)
最寄地 石川県七尾市馬出町75-19 2014.10.26
小丸山城 (こまるやまじょう)
最寄地 石川県七尾市馬出町75-19 2014.10.26
左見性丸・空堀・右本丸
城址碑
本丸跡
本丸跡・庭園
日像上人の銅像
前田利家松子之像
前田利家松子之像の碑文
小丸山城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 小丸山城跡は「小丸山公園」となっており、北側に七尾湾、東西を御祓川に囲まれた丘陵にある平山城で、梯郭式の曲輪が配置されている。
天性丸との間に空堀が残っている。廃城に伴って建築物が撤去され、僅かに残る石垣や、土塁に当時の面影が偲ばれる。
【案内】 国道249号線の「小丸山公園下」交差点より北東に100m行った「七尾幼稚園」(表記番地)北側に駐車場があり[マップコード135 775 171*60](地図)、登って行くと本丸がある。
現在、本丸跡は第一公園として整備されている。当初は城址石碑のみ設置されていたが、NHKの大河ドラマ「利家とまつ・加賀百万石物語」の放映決定を受けて、平成十三年(2001年)に利家と妻・芳春院(まつ)の銅像「前田利家松子之像」が設置された。
櫓(巽櫓、坤櫓)跡には日像上人の銅像が設置され、池などが設けられている。
本丸の北西に道路となっている空堀に架けられた橋を渡ると「天性丸」曲輪があり、第二公園として整備され、児童遊具が設置されている。
本丸の北に「宮丸」曲輪があり、愛宕神社が建立されていたが、現在は七尾市愛宕山相撲場が設置されている。
【歴史】 織田信長の命により越前国府中城十万石の領主から能登一国の国主となった前田利家は天正九年(1581年)、七尾城に入城した。
しかし七尾城は要害ではあったが中世の山城で、防衛上の利点はあったが、港から離れていて治政・経済上の利便性に難があった。
そこで利家は七尾城に近い所口村の小丸山に平山城を築くことを決定、天正十年(1582年)に築城し、七尾城から移り住んだ。河川と海が堀の役割を果たす水城でもあった。城は能登水軍の本部の役割も成していた。
利家は、さらに周囲に二十九の寺院(山の寺寺院群)を建立し、能登半島方面からの敵襲の守りを補った。
天正十一年(1583年)、尾山城(金沢城)へ本拠を移した後、兄の前田安勝が七尾城代として居住した。
慶長二十年(1615年)六月の一国一城令に従い廃城となった。
大正九年(1920年)、小丸山公園として整備された。