岩倉城 (いわくらじょう)
最寄地 石川県小松市上麦口町は 2014.10.28
岩倉城 (いわくらじょう)
最寄地 石川県小松市上麦口町は 2014.10.28
案内板
登城ルート(緑線は車道)
登り口
馬場跡
大手口
主郭跡・土塁
東門跡・土塁
角馬出
岩倉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【案内と感想】 国道360号線に沿った表記番地付近より北に行き右折、山裾の道を東に350mほど行くと駐車スペースがある[マップコード 507 726 471*14 ]。その先に「岩倉城址登り口」の石碑があり、案内板が建てられている(地図)。
700m程登ると、馬場跡の平坦地があり、更に300mほどで「岩倉観音」との分れ道に着き、空堀を登ると「馬出」、「大手門」がある。
標高296m(比高約210m)の主郭には手製の案内板があり、広さは東西約65m、南北約20mで周囲に土塁がよく残り、二重桝形の大手門、食い違い虎口の東門、平虎口の搦め手門が残る。
南東の帯郭に岩倉観音がある。西に帯郭があり、北に角馬出、攻撃用虎口部があり、空堀、土塁がよく残っている。
【歴史】 享禄年間(1528~32年)一向一揆が朝倉宗滴の攻撃に備えて築いた。城主は沢米左衛門、家老は勘右衛門・惣左衛門と伝えられている。
元亀元年(1570年)鈴木出羽守の守る鳥越城の出城として三坂峠を守った。天正三年(1575年)織田信長の再度の攻撃により落城したが、再び奪還した。
その後両軍の最前線基地として攻防を繰り返した。天正八年(1580年)鳥越城の落城により、役割を終えた。