足助城 (あすけじょう) (真弓山城)
所在地 愛知県豊田市足助町須沢39 2014.12.9
足助城 (あすけじょう) (真弓山城)
所在地 愛知県豊田市足助町須沢39 2014.12.9
登城ルート(緑線は車道)
駐車場
南の丸・堀切・本丸
西の丸・西物見台
南の丸・南物見台
本丸・長屋・高櫓
足助城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 真弓山(標高301m)に位置する、「城跡公園足助城」(表記番地)として整備され、有料(300円)で見学できる[マップコード281 459 581*22]。
管理棟の先に堀切、南の丸があり柵列が見える。順路に沿って行くと、南の丸腰郭、井戸があり、西の丸腰郭、西の丸がある。西の丸の本丸側に「西物見台」が復元されている。
南の丸には「厨」二棟が復元され、カマド跡が残っている。また櫓台に「南物見台」が復元されている。
木橋で堀切を渡ると、最高所に本丸があり、長屋、高櫓が復元されている。本丸の北に二段の北腰郭がある。
【歴史】 鎌倉時代に足助氏が居城したと云われる。
西三河山間部に勢力を持っていた鈴木氏の城となり、初代忠親は十五世紀後半の人と云われ、その後重政・重直・信重・康重と五代続いた。
大永五年(1525年)に松平清康がこの城を攻めた記録が残り、この際に清康の妹・久を二代鈴木重政の嫡子・重直に嫁すことで一旦は松平氏に下っている。
その後は離反帰服を経て、永禄七年(1564年)に松平(のち徳川)家康に攻められたのちは完全に服属し、以降は松平氏の家臣団として活躍した。
元亀二年(1571年)武田信玄に攻略され、信玄の城代が足助城に入った。
天正元年(1573年)岡崎三郎信康が足助城を攻略し、鈴木氏は足助城主に復帰した。天正九年(1581年)高天神城の戦いなどで武勲を挙げた。
天正十八年(1590年)、家康の関東入国に従って鈴木氏も足助を離れ、真弓山城は廃城となった。鈴木氏は間もなく家康から離れ浪人となった。