二曲城 (ふとげじょう) (国の史跡)
所在地 石川県白山市出合町甲26 2014.10.28
二曲城 (ふとげじょう) (国の史跡)
所在地 石川県白山市出合町甲26 2014.10.28
登城ルート(緑線は車道)
鎮魂碑・説明板
南側谷通路
三の郭堀切
二の郭・土塁・建物跡
主郭虎口
主郭・建物跡・石敷路
主郭・井戸跡
二曲城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高50m】
【案内・感想】 「鳥越一向一揆歴史館」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード507 672 729*76]。
南西約150m付近に墓地公園があり、登り口がある(地図)。公園には「仁誓之碑」「嗚呼田原中隊」「二曲村の歌」「加賀一向一揆山ノ内門徒衆之霊」の石碑、案内板が建てられている。
谷の道を100m程行き左に折れて登ると堀切があり、西に「三の郭」がある。尾根を東に登ると土塁で囲まれた「二の郭」(地図)があり、掘立柱建物跡が復元れている。
更に登ると三角形の主郭がある。掘立柱建物跡や炉跡、井戸跡が復元され石敷路が再現されている。東端に社がある。
一の郭の南東に下った所に四の郭がある。城は大日川の河畔にある標高268m比高約50mの独立峰上に築かれており、南側は深い谷となり、山頂が削平され郭となり、尾根上にも郭と堀がある。
近くにある鳥越城跡と共に「鳥越城跡附 二曲城跡」として昭和六十年(1985年)9月3日、国の史跡に指定された。
【歴史】 この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木出羽守の本拠で、城は鈴木氏の館の背後にある詰城であった。
天正八年(1580年)に織田軍の攻撃により落城するが、さらに一向一揆の抵抗は続き翌、天正九年二月加賀一揆が蜂起し「ふとうげ」に入れ置かれた柴田勝家の兵三百を悉く討ち果たした『信長公記』。
しかし、これも織田方の佐久間盛政によって鎮圧された。翌天正十年に一揆衆が再度蜂起し鳥越・二曲両城を奪還した。
しかし、同年三月には再度落城し、一揆衆300人余りが処刑され一揆衆の抵抗は終わった。