岡崎山砦 (おかざきやまとりで)
所在地 福井県敦賀市杉津 2017.8.26
岡崎山砦 (おかざきやまとりで)
所在地 福井県敦賀市杉津 2017.8.26
登城ルート(緑線は車道)
国道8号線より遠景
墓の左を登る
土橋状尾根の南側石垣
北側の通路
堀切
主郭
北側下段の郭
主郭東側の堀切
岡崎山砦跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高80m】
【感想】 岡崎と呼ばれる岬の南東の比高80mほどの山頂にある。全体的に放置され、標識など一切なく多少不安に駆られて登ってみた。
当時のものか分からないが、割と古そうな土橋土止めの石垣があった。西側の堀切は明瞭に残っている。
【案内】 敦賀市杉津にある劔神社横を南東に行き終点の墓地前に転回スペースがある[マップコード788 266 398*14](地図)。
竹林の倒竹を避けて南西に真っ直ぐ登る。尾根に出て左へ少し行くと、土橋状の尾根の海側に石垣がある。
東へ登ってゆくと堀切とそれに続く竪堀があり、東に主郭がある。主郭は細長く樹木でおおわれ、なぜかコンクリの桶が置かれている。北側下段に郭があり、東側に浅い堀切が残っている。
【歴史】 織田信長の朝倉攻略の際、朝倉義景の軍が詰めていたとされる。天正元年(1573年)織田信長は朝倉氏を滅亡させ、越前を平定した。
しかし、翌天正二年(1574年)越前は加賀一向一揆の領国となった。
天正三年(1575年)再び越前支配を目論む信長に対し、一向一揆衆は総大将・下間筑後法橋頼照が燧ケ城に入り、江越国境の板取城、木ノ芽峠城、鉢伏城に下間氏一族や一揆勢が守り、岡崎山砦には猪鹿子孫左衛門が守ったという。
しかし、10万余の織田軍の前に杉津城、鉢伏城、木ノ芽峠城などの諸城は次々に落城し、岡崎山砦も落城した。