替佐城 (かえさじょう)
最寄地 長野県中野市上今井3435−1 2016.11.12
替佐城 (かえさじょう)
最寄地 長野県中野市上今井3435−1 2016.11.12
登城ルート(緑線は車道)
駐車場横の城跡碑と説明板
堀切と3の丸
本丸側から見た空堀と二の丸
本丸二の丸間の空堀
本丸・腰郭
本丸・四阿
本丸北の帯郭
本丸北西の空堀
替佐城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 千曲川左岸の標高463.4m麓からの比高約120mの山頂に本丸があり、空堀、二の丸、堀切、三の丸と南東方向に並んだ連郭式山城である。
本丸北側に帯郭があり北西は深い空堀となっている。また、二の丸の東側に帯郭、腰郭がある。
千曲川の左岸の国道117号線を走っているとき、偶然見つけた城跡である。
駐車場からは比高20m程度で登りやすく、戦国時代の遺構がよく残っているのが見て取れる。東に千曲川が望め、また、もみじが多く植えられており紅葉が目に鮮やかであった。
【案内】 国道117号線の「市立豊井小学校」(表記番地)西側に「城址公園」の標識があり、西に行き上信越自動車道下を右折する。100mほど登り、左折しすぐに右折(写真)、400mほど行くと公園駐車場が用意されている[マップコード54 683 064*16](地図)。
【歴史】 永禄七年(1564年)頃、築城されたと考えられている。
北信濃の制圧を目指す武田氏と上杉氏が川中島の戦いで激しく争った当時、武田方の前進基地として重要な役割を果たした。
この城は、上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道(千曲川通り)を東岸から抑える壁田城と共に、西側から抑えるものであった。また、北永江方面をへて上杉方の国境の野尻城へも備えていた。