新所城 (しんじょじょう)
最寄地 三重県亀山市関町新所1363 2019.10.27
新所城 (しんじょじょう)
最寄地 三重県亀山市関町新所1363 2019.10.27
登城ルート
会社西側から入る
城山登り口の標識
石垣手前を左へ
主郭
主郭・標識
主郭南の堀切
中間の郭
東の郭・土塁
東の郭・切岸
新所城主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 鈴鹿峠を通る国道1号線(東海道)を見下ろす標高153mの山頂に築かれている。
3つのピークに夫々郭を配置してあり、切岸や土塁が残っている。また主郭南側の堀切は、幅は狭いが長く、よく残っている。
北西麓の石垣は居館跡のようにも見えるが、定かではない。
【案内】 国道1号線の関公園駐車場に駐車できる[マップコード213 376 246*32]。
向かいの物流会社(表記番地)の裏から入ると、「城山登り口」の標識があり(地図)、そこから右手の道を行くと、石垣がある。
その手前を左に行き、谷筋を進んで尾根に登り、右に行くと主郭がある。主郭には土塁は無いが切岸が残り、新所城の標識が括り付けてある。
南の虎口からロープに沿って下ると、東西に伸びた堀切がある。
そこから南東に登ると、中間の郭があり、更の歩いて行くと東の郭がある。
東の郭には土塁・切岸がよく残っている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、天正年間(1573~93年)に亀山城主の関安芸守盛信によって築かれたと云われる。
天正十一年(1583年)関盛信が羽柴秀吉に年賀のため留守の間に、反羽柴派の家臣・岩間七郎左衛門などに亀山城と共に奪われ、織田信孝方の滝川一益に渡された。
これに対して羽柴秀吉は大軍を率いて北伊勢に侵攻し、峯城と亀山城を攻め落とし、その後、新所城も奪い返した。
新所城を奪還した秀吉は浅野長政や朽木元綱らに命じて改修したと云われる。