小菅城 (こすげじょう) (小菅砦・天神山城)
所在地 山梨県北都留郡小菅村川久保 2018.4.6
小菅城 (こすげじょう) (小菅砦・天神山城)
所在地 山梨県北都留郡小菅村川久保 2018.4.6
登城ルート
箭弓神社
北端の堀切
3郭・堀切(奥は2郭)
2郭・堀切(奥は主郭)
堀切(横から)
主郭・城跡標柱・神社
帯状腰郭
小菅城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 小菅川の左岸、鹿倉山から南西に伸びた標高約728mの天神山に築かれている。
こじんまりした城跡であるが、堀切がよく残っている。
【案内】 県道18号線に面した箭弓(やぎゅう)神社北に駐車場があり、そこから遊歩道が設けられている[マップコード348 637 059*38]。また「小菅村保育所」のフエンスに説明板が建てられ、西の駐車場からも登城路がある[マップコード348 608 781*35]。
南東側に主郭があり、土塁、帯状腰郭を伴っている。北西に伸びる尾根を2条の堀切で切り、その間に細長い2郭、3郭が残っている。北端と北東の鹿倉山に続く尾根にも堀切が残っている。
小菅村指定史跡となっている。
【歴史】 室町時代初期、甲斐の国主武田信昌は甲武国境のこの地に、小菅遠江守信景を配し、信景により築城された。文明十年(1478年)箭弓神社を造営した。
小菅氏は小菅一村の領主で、小菅村川久保 (現小学校付近に屋敷があった)に、代々住み、戦時には、この城に詰めた。
甲武の国境警備に当たり、丹波黒川金山を支配し、又、現在の大月市土室沢・小金沢も支配していた。武田家は信昌・信綱・信虎・晴信(信玄)・勝頼と続いた。
信景の死後も子孫は代々武田家に仕え、信玄公・勝頼公の時代には、侍大将・足軽大将として活躍した。
武田氏滅亡後、天正十年(1582年)五郎兵衛尉忠元は、織田信忠に殺された。
小菅又八郎信有、小菅次郎三郎信久、小菅九兵衛などは、郡内へ侵攻した北条氏を撃退した功により、徳川家康の旗本になり、甲斐国に領地を貰った。川久保に帰農した小菅一族は江戸時代、代々村役人を務めた。全国の小菅姓は、小菅村川久保が発祥の地である。『現地説明板』より。