源氏ヶ峰城 (げんじがみねじょう)
最寄地 富山県小矢部市松永38 2014.10.25
源氏ヶ峰城 (げんじがみねじょう)
最寄地 富山県小矢部市松永38 2014.10.25
登城ルート(緑線は車道)
井戸(道路横)
登り口
縄張り図
展望台
虎口
源氏が嶺の石碑
源氏ヶ峰城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 泉洋化工㈱(表記番地)北の道を西に登って行くと池があり葵塚・巴塚古墳群の案内板がある。
矢立山の南を過ぎ200m行くと北への分岐付近に平家陣地跡の「塔乃橋」があり、更に200m程行くと山側に「井戸跡」があり、ヘアピンカーブに鉄の階段が設けられている[マップコード 122 549 367*12 ](地図)。
案内板が建てられ、そこから「くりから古戦場跡」や地獄谷が望める。登るとすぐ、展望台が建てられている。そこより南、尾根伝いに150m程行くと、平坦地があり上段に虎口があり、標高245m比高役30mの最高所に「源氏が嶺」の石碑が建てられている。
【歴史】 寿永二年(1183年)五月、源義仲と平維盛が争った倶利伽羅峠の戦いにおいて、平家軍が陣を構えた。
天正九年(1581年)、佐々成政が越中国に入国。おそらく二年後の賤ヶ岳の戦い以降に前田利家に対する備えとして越中国一乗寺城や加賀国松根城らと同様に、大規模な改修(もしくは築城)が施されたとされる。
しかしその後の戦局の変化(豊臣秀吉との直接対決が不可避となり、佐々軍は兵力を集中させ敵を領内で迎え撃つ戦術へと移行した)に伴い、富山の役が起こった天正十三年(1585年)までには放棄されていたと思われる。