桑原城 (くわばらじょう) ( 水晶城・高鳥屋城)(たかとやじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県諏訪市四賀4373 2014.11.6
桑原城 (くわばらじょう) ( 水晶城・高鳥屋城)(たかとやじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県諏訪市四賀4373 2014.11.6
登城ルート(緑線は車道)
登り口
北東側の空堀
東曲輪・首塚
空堀(右が主郭・左が2郭)
主郭・土塁
主郭・城趾標柱
主郭から見た空堀・二の丸跡
二の丸・奥に空堀と主郭
西曲輪
桑原城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高190m】
【案内・感想】 国道20号線「四賀桑原」(南)交差点より東に佛法紹隆寺(表記番地)があり、その北より北東へ約500m行った付近に登山道入口の看板が建てられている[マップコード 218 662 463*1 ](桑原口)。
15分ほど登ると「普門寺口」からの登山道とつながり、間もなく空堀があり更に登ると、首塚があり東曲輪がある。回り込むと中央に空堀があり、西に二の丸、西曲輪がある。
空堀より高さ6mの東に東西33m南北25mの主郭があり、土塁、井戸跡が残り、「桑原城址」の標柱や案内板が建てられている。標高981m(比高190m)の主郭からは諏訪市街や諏訪湖が一望できる。
昭和四十六年(1971年)5月27日、長野県の史跡に指定された。
【歴史】 築城年は不詳であるが、諏訪総領家の本拠・上原城の支城として要害を誇った山城である。
天文十一年(1542年)武田晴信(信玄)は、諏訪に攻め入り、諏訪頼重の本拠地上原城を攻めた。七月四日、頼重は上原城を支えきれず,桑原城に逃れ籠城した。しかし、家臣の多くは逃亡してしまったため、降伏し、頼重は弟の大祝(おおほうり)諏訪頼高らとともに甲府府中に連行された。
頼重は頼高と共に東光寺で自刃させられ、戦国大名の諏訪氏は滅亡した。辞世は「おのずから枯れ果てにけり、草の葉の主あらばこそ又も結ばめ」を詠んだ。
東光寺(甲府市東光寺3‐7‐37)に頼重と弟の頼高を祀る小さな五輪塔が建っている。また頼重院(諏訪市大字四賀神戸3433)には頼重の供養塔がある。 桑原城は上原城とともに武田氏に接収された。