正院川尻城 (しょういんかわしりじょう) (黒滝城)
最寄地 石川県珠洲市正院町川尻12-107 2017.6.23
正院川尻城 (しょういんかわしりじょう) (黒滝城)
最寄地 石川県珠洲市正院町川尻12-107 2017.6.23
登城ルート(緑は2郭)
県道からの入口
虎口
北側の空堀
空堀
4郭
3郭
主郭北側
主郭・城跡標柱
正院川尻城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 飯田湾を臨む標高34mの丘陵に築かれた、広くなだらかで平坦地を空堀で区画した平城で、五つの曲輪で構成されている。
主郭は畑として利用されていたようで畝が残っていた。一時期、標識が各所に建てられ整備されたようだが、訪問時は放置状態であった。
【案内】 県道12号線より右折して行った漁港北側に駐車できる[マップコード329 681 647*71](地図)。
「うじま公園」横の橋を渡って県道12号線に面した稲荷神社(表記番地)東約100mより入る(地図)。稲荷神社右からも行ける。
県道反対側のカーブミラー横より細い堀道を登ってゆくと虎口があり、果樹園の先に空堀跡がある。左に行くと4郭跡があり、西に下ると3郭跡がある。そこより南西に少し行くと主郭があり、「正院川尻城跡」の標柱が建てられている。2郭は主郭の西にある。
【歴史】 鎌倉時代に大屋荘(鳳至郡)の地頭となった長谷部信連の子孫が長(ちょう)氏を名乗り、奥能登各地に勢力を伸ばしていった。
築城時期ははっきりしないが、穴水城主長氏の一族が川尻氏を名乗り、正院周辺の支配拠点として築き、戦国時代に大規模な城館として整備された。
天正四年(1576年)十一月、上杉謙信が七尾城の畠山氏を攻めた際、謙信の家臣で黒滝の城主・長景連は海路能登に侵攻し、川尻城に入城した。
天正七年(1579年)長景連は温井景隆・三宅長盛らの旧畠山氏家臣に攻められ、越後国へ逃れた。
天正十年(1582年)、長景連は海路にて棚木城を攻略した。しかし、織田信長の部将・長連龍により攻め落とされ川尻へ逃亡する途中、土民に討たれたという。その後、廃城となった。