西勝寺城 (さいしょうじじょう)
最寄地 富山県南砺市川西265−2 2019.6.19
西勝寺城 (さいしょうじじょう)
最寄地 富山県南砺市川西265−2 2019.6.19
登城ルート(緑線は車道)
林道横の階段・祠
北郭切岸
北郭の土塁
北郭・土塁
北郭北東の堀切
北郭と南郭間の空堀
南郭
南東の土橋・竪堀
西勝寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 福光市街の北西に位置する桑山より東に伸びた標高約160mの低丘陵に築かれている。
鬱蒼とした山林となっているが、堀切、土塁や大空堀、土橋、竪堀などが残っている。
【案内】 南砺市川西の表記番地より西に行くとゲートのある林道入口がある[マップコード122 254 603*36](地図)。
そこから400m程行ったヘアピンカーブのカーブミラー手前に祠があり、階段がある。100mほど先の左側に駐車できる。
戻って階段を登ると、「←西勝寺城跡」の標識があり、少し登ると北郭の切岸が見える。
北郭の西側に櫓台・土塁があり、北東の尾根に堀切が残っている。
北郭の南に空堀があり、藪化した南郭がある。南郭の南東に土橋とそれに続く竪堀がある。
【歴史】 戦国時代、石黒氏の宗家・太郎光秀は、西勝寺城を居城とした。
光秀の弟五郎光信が福光城、光秀の次男石黒宗五郎が山本城を居城としたと云われる。
文明十三年(1481年)山田川で石黒右近光義並びに医王山惣海寺の宗徒が、井波瑞泉寺の一向宗徒と戦って敗れ滅亡したと云われる。