楽巌寺城 (がくがんじじょう) (額岩寺城・楽岸寺城)
所在地 長野県小諸市大久保 2020.11.23
楽巌寺城 (がくがんじじょう) (額岩寺城・楽岸寺城)
所在地 長野県小諸市大久保 2020.11.23
登城ルート
南東4郭空堀
4郭
堀跡・3郭
左3郭・空堀・2郭土塁
2郭・土塁
2郭3郭(左)間の堀切
主郭2郭(右)間の空堀
楽巌寺城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 千曲川左岸の丘陵先端部に築かれており、4つの郭から構成されている。
主郭、2郭の土塁や空堀がよく残り、3郭は別荘地となっている。
【案内】 小諸市大久保の別荘群の北側に主郭があり、虎口を通る林道布引線横に駐車スペースがある[マップコード85 556 761*24](地図)。
林道に沿って土塁が見られ、南東に4郭、西に別荘地の3郭、その北に2郭、主郭と並んでいる。
【歴史】 望月信雅の家臣楽巌寺雅方は、天文年間(1532~55年)楽巌寺城を築いて居城にしたといわれる。
天文十七年(1548年)武田信玄に攻められ楽巌寺城、堀ノ内城は落城し、主君望月氏は武田氏に降ったが、楽巌寺雅方は堀ノ内城主布下雅朝と共に村上義清を頼って砥石城に落ちた。
天文二十二年(1553年)村上義清が武田信玄に敗れて越後上杉氏のもとへ逃れると、楽巌寺雅方は武田信玄に降り、家臣となった。