赤谷城 (あかだにじょう)
最寄地 新潟県新発田市上赤谷2710 2016.10.7 2017.10.9
赤谷城 (あかだにじょう)
最寄地 新潟県新発田市上赤谷2710 2016.10.7 2017.10.9
登城ルート
鉄塔管理道
沢を渡る
左鉄塔入口・右登り口
南西側堀切
主郭切岸と南東の帯郭
薮化した主郭
北の郭
北側堀切
景勝清水
赤谷城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 上赤谷の標高205m比高約90mの山頂にある。北と東を加治川の支流が流れている。
当初、城跡が分からなかったので、住民に訊いたところ、放置され荒れて道は消滅しているとの事だった。熊に遭遇しないよう注意して登ってと促された。
意を決し、北東のそれらしい道から登ると、3、4段の階段状の郭があったので、それほど間違っていないと直感した。あとは尾根に向かって直登した。
尾根を南方向に行くと段郭が3段ほどあり、かなり埋まった堀切が残っている。主郭は樹木で鬱蒼とし、明瞭な撮影は出来なかった。
主郭の南に一段低く帯郭が残っていた。日没も近くなり、そこで引き返した。南東が大手かもしれない。
2回目の挑戦では南西の鉄塔のある尾根から登り、南西の堀切が見られた。帰り際、林道より斜めに登る道が見え、ここからも登れると思われる。
【案内】 県道14号線の上赤谷集落の「不動橋」バス停の横より西に入る[マップコード157 019 629*36]。
民家外れの橋から南に600mほど行き駐車し、右手の小屋へ登る道がある(地図)。少し登ると鉄塔が3基見え、右手の「No27」鉄塔を目指す。
沢を渡って北に登り、尾根に出ると左に鉄塔入口があり、右の尾根を登ると堀切がある。
上段に帯郭があり、最高所に主郭がある。主郭は南北に細長く、北に一段下がって郭がある。その北に堀切がある。
【景勝清水】 赤谷城の南東約800mの山の東麓に景勝清水(地図)がある。
天正十五年八月、上杉景勝軍は赤谷城が望めるこの山に布陣した。景勝軍はこの清水で渇きを癒し戦意が向上し、3日後の八月十四日赤谷城を攻め落城させた。赤谷城800余人が討ち死にした。
【歴史】 天正九年(1581年)、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした新発田重家の乱で、蘆名氏に仕えていた小田切盛昭が新発田氏を支えるために築城した。
会津からの物資輸送路として重要な役割を果たしたが、天正十五年(1587年)八月、援軍の津川城主の金上盛備が退却した。
上杉景勝方の藤田信吉軍が到着し城を攻撃開始した。続いて景勝自ら1万騎の大軍を率いて攻撃、城兵は赤谷城に立て籠ったがわずか一日で落城し、小田切盛昭以下城兵は全滅した。
既に水上での補給路を断たれていた新発田城と五十公野城は、赤谷城陥落により陸路での補給路をも断たれた事により完全に孤立し、新発田氏は滅亡した。