福束城 (ふくづかじょう)
所在地 岐阜県安八郡輪之内町福束928−1 2019.6.21
福束城 (ふくづかじょう)
所在地 岐阜県安八郡輪之内町福束928−1 2019.6.21
福満寺
鐘楼・用水路
福満寺本堂
説明案内板
西側の揖斐川堤防
福束城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 福束城は輪之内町福束の福満寺一帯に築かれていたと云われる。現在は揖斐川の河川改修によって遺構は消滅している。
福満寺の境内に福束城の説明案内板が設置されている。この福満寺には福束城主丸毛氏の記載がある版木が伝わっている。
【案内】 福満寺(表記番地)手前の町道の路肩に駐車する[マップコード28 150 426*65]。
福束城は福満寺一帯とされており、遺構は無いが、本堂左に説明板が建てられている。
【歴史】 慶長五年(1600年)関ヶ原の戦い当時は2万石を領した丸毛(まるも)兼利の居城であった。
揖斐川に複数の支流が合流する舟運の要衝で、兵糧の輸送に重要な戦略的拠点だったことから、兼利は東西両軍から誘いを受ける。
結局、兼利は西軍に味方したため、慶長五年(1600年)八月十六日、東軍の福島正則から南濃平定を命じられた松ノ木城主徳永寿昌(ながまさ)と今尾城主市橋長勝らに攻められ福束城は落城し、兼利は大垣城へ逃れた。
関ヶ原の戦い後、兼利は加賀藩の前田利常に仕えている。