白樫城 (しらかしじょう)
最寄地 岐阜県揖斐郡揖斐川町白樫132 2018.11.24 2020.5.3
白樫城 (しらかしじょう)
最寄地 岐阜県揖斐郡揖斐川町白樫132 2018.11.24 2020.5.3
登城ルート
白樫神社
大きな城跡看板
北側の谷手前を登る
南側尾根から登る
南側段郭
小丸跡
城址碑・説明板
説明板
城主一族の墓
3代利三/初代利安/2代利賢/栄林禅門
春日局公園・出生地碑
白樫城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高210m】
【感想】 白樫神社背後の尾根にあったという城跡は、慶安三年(1650年)の大雨による山崩れで中心部は消失し、小丸跡が残っている。
一応登ってみようと思い、付近の住民に聞いて、白樫神社へ行き拝殿裏に回ってみたが、踏み跡さえ見つからなかった(住民の話では以前は登れたらしい)。
地理院地図とマピオン地図の城名を参考に、今回再度挑戦してみた。小丸跡は標高約310mの稜線のやや東にあり、城址碑や説明板が建てられている。
崩落のためか、階段状の平坦地が見られる程度で、堀切などは確認できなかった。
【案内】 白樫農事集会所前に「歴史の里白樫」の説明板、「白樫城登り口」の石碑がある[マップコード242 529 069*15]。
城跡へは白樫神社鳥居先に駐車出来[マップコード242 529 240*74]、そこからルート図のように折返し登ってゆくとフエンス扉があり、すぐ先から左に林道が続いている。
約250m南下すると、右上方に「白樫城跡」の大きな看板がある(地図)。 看板前に登り、北の谷に面した尾根を登り、急斜面の手前から斜め左に踏み跡を辿ると、南側尾根に出、険しい尾根を辿ると小丸跡に着く。
白樫神社北東の民家(白樫310−38)の北に80mほど行き左折、北西に80mほど行くと右側に城主3代の墓がある(3代斎藤利三/初代斎藤利安/2代斎藤利賢)(地図)[マップコード242 529 487*83]。
また小島郵便局(揖斐川町市場25−2)より町道を北に200mほど行くと春日局公園があり、「春日局出生地」の石碑や局屋敷礎石がある(地図)[マップコード242 499 892*56]。
春日の局(阿福)は斎藤利三の娘として天正七年(1579年)白樫で生まれ、4歳まで住んでいた。
【歴史】 延徳二年(1490年)、守護土岐氏の重臣で守護代斎藤利安によって築かれたと云われている。斎藤利安は、美濃守護土岐政房・政頼の2代に仕えた。
土岐成頼の後継をめぐる家督争いでは、明応四年(1495年)七月、妙純から土岐元頼方の古田氏討伐を命じられ、利綱とともに出陣した(船田合戦)。
明応七年(1498年)に斎藤妙純・利親父子が戦死すると、まだ幼い利親の子・利良の後見のため稲葉山城山麓に移った。
利安は、永正五年(1508年)に斎藤道三(利政)の父(長井新左衛門尉)によって暗殺されたと云われている。その後を子利匡の子利賢が継ぎ、斎藤道三・義龍に仕えた。
その子斎藤利三(としみつ)は天正十年(1582年)本能寺の変で光秀方に与し、羽柴秀吉によって斬首となった。白樫城も廃城となったと云われる。
江戸時代の慶安三年(1650年)大雨による山崩れで、城の中心部を失い、小丸を残すのみとなった。