桐原城 (きりはらじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県松本市入山辺1940 2014.6.17
桐原城 (きりはらじょう) (県の史跡)
最寄地 長野県松本市入山辺1940 2014.6.17
登城ルート(緑線は車道)
登り口・説明板
石垣
石垣
本丸・土塁
背後の二重堀切
背後の空堀
桐原城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【案内・感想】 「海岸寺」(表記番地)の北西60mの沢に架かる「海岸寺橋」西に獣除けフェンスがあり[マップコード75 828 577*54](地図)、扉を開け閉めて、海岸寺沢に沿って登る。
北に約200m行った地点から西に九十九折れの道を登ってゆくと、比高約220mの尾根上に築かれた城跡下に着く。階段状曲輪が残り石垣が良く残っている。
副郭の虎口を登ってゆくと、比高200mの尾根に東西約29m南北約27mの主郭がある。土塁の外側を補強した石垣は良く残り、曲輪に説明板が建てられている。東側の主郭虎口石垣は崩れ、その背後に深い空堀や二重堀切がある。
昭和五十五年(1980年)「小笠原氏城跡」(林大城・林小城・埴原城)に山家城と共に追加指定されている。
【歴史】 信濃守護小笠原氏の家臣・桐原氏の主城として築かれ、寛正年間(1460~66年)頃から桐原氏五代にわたって居城した。桐原氏は小笠原氏の庶流大甘氏から分かれた一族である。
慶長四年(1599年)の絵図によると、山麓に桐原氏の居館があったという。
天文十九年(1550年)七月十五日、武田晴信(信玄)の攻撃により林城と共に落城した。