雨鳴城 (あまなりじょう)
所在地 山梨県南アルプス市中野/南巨摩郡富士川町平林 2025.6.29
雨鳴城 (あまなりじょう)
所在地 山梨県南アルプス市中野/南巨摩郡富士川町平林 2025.6.29
登城ルート(緑線は車道)
天満宮(天神社)鳥居から登る
橋を渡り、山道を進む
平林天神社
主郭西側の土塁
主郭
浅い堀切と2郭
2、3郭間の切通し
3郭・奥に4郭
一騎駆けの細尾根
雨鳴城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 中野城の南東約800mの標高約827mの山頂に築かれており、主郭は南北40mほどの二等辺三角形の形で周囲を土塁が巡らせてある。
2郭との間に浅い堀切が見られ、その北に堀切を利用した切通しがよく残っている。
【案内】 富士川町平林888−1北の県道413号線より狭い道がありゲートを開け閉めして少し行くと左手に天満宮鳥居がある[マップコード312 875 527*04]。少し手前に駐車スペースがある。
鳥居の50m先に木の橋があり、そこから山道が続いている。視界は開けており、沢を渡った所から右に折り返し、登ってゆくと平林天神社に着く(地図)。
神社背後から尾根を登ってゆくと、主郭に着く。
主郭は周囲を土塁が巡り、北に浅い堀切、2郭があり、その先に切通しが見られる。
更に北に3郭、少し高く4郭と並び、一騎駆けのような細尾根が伸びている。
【歴史】 秋山光朝は武田の始祖・武田信義の弟である加賀美遠光の嫡子として、保元三年(1158年)頃、加賀美の館で生まれた。
始め、加賀美太郎と云われたが、大井の庄を支配するに及んで山裾の要害地秋山に館を構え秋山太郎と称した。中野城と共に新羅五郎種久により築かれ、その後秋山光朝が城主となったと伝えられる。
平重盛の娘を娶るなど平家と深い関係にあった光朝もまた、頼朝から排斥され、文治元年(1185年)鎌倉勢に攻められ、ついには追い詰められ雨鳴城(一説に中野城) で自害したと云われている。