羽場城 (はばじょう)
所在地 長野県上伊那郡辰野町伊那富6373−2 2017.9.8
羽場城 (はばじょう)
所在地 長野県上伊那郡辰野町伊那富6373−2 2017.9.8
説明板
南東の外郭跡
JR飯田線・参道
東側土塁・説明板
手長神社
西側土塁
西側空堀
東側空堀
東側の郭・土壇
羽場城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 手長神社(表記番地)の北側には天竜川が流れ、他の三方に土塁・空堀が巡らされ、その外側にコの字形の外曲輪があり、空堀が巡っていた平城であった。
現在は神社の周囲に土塁・空堀が残り、東側の土壇には社が多数祀られている。
【案内】 国道153号線より県道203号線に入り、東へ約250m行くと手長神社参道がある[マップコード171 733 192*66](地図)。東に少し行くと県道左に路駐できる。
主郭跡の手長神社の東西に土塁と堀が残り、堀を挟んで東の曲輪には櫓台と思われる土壇が残る。南東側に土塁の一部と空堀跡が見られる。
主郭の南西にかけて西の曲輪があるが、JR飯田線で分断、削り取られ、残りは住宅地となっている。
【歴史】 天文年間(1532~55年)には下伊那松尾城主・小笠原貞宗の4男小笠原重次郎が居住した。
天文十三年(1544年)武田勢の伊那侵攻の際、小笠原長時は草間肥前守時信に守らせた。
その後、弘治年間(1555~58年)再度武田勢の伊那侵攻の際、小笠原政氏が守っていたが、遂に落城した。
武田氏は、伊那十三騎の一騎として活躍した柴河内守に守らせた。
天正十年(1582年)二月織田勢に攻められ、落城した。文禄年間(1592~96年)京極高知が飯田に在城していた時、羽場城に城代を置いたが間もなく廃城となった。