帰雲城 (かえりくもじょう)
所在地 岐阜県白川村大字保木脇 2010.11.7
帰雲城 (かえりくもじょう)
所在地 岐阜県白川村大字保木脇 2010.11.7
城跡碑
由来碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 鳩谷ダム湖の南1.5㎞に「帰雲城埋没地」の看板が国道158号線に面して建てられている。
庄川の方に50m程下って行くと「帰雲城趾」の石碑と、由来説明石碑が建てられている[マップコード597 722 764*51](地図)。
天正大地震の帰雲山の山崩れで城ごと埋まってしまったというが、 今も埋まったままなのだろうか気味が悪い 。庄川の流れや、燃えるような紅葉の山々が望める。
【歴史】 飛騨の有力武将の内ヶ島上野介為氏により寛正年間(1460~66年)頃に築城された。荻町城主山下大和守氏勝は内ヶ島氏の家臣であった。
四代氏理の時、天正十三年十一月二十九日(1585年1月18日)天正大地震が起き、帰雲山の山崩れで城や城主、城兵ともども埋まってしまった。
「帰雲城趾」碑が建っている周辺が、城跡と推定されている。