三留城 (みとめじょう) (市の史跡)
最寄地 福井県福井市三留町41-27 2017.8.5 2019.6.20
三留城 (みとめじょう) (市の史跡)
最寄地 福井県福井市三留町41-27 2017.8.5 2019.6.20
登城ルート
説明板
館跡に建つ 正寿寺
五位山遠景(右に駐車)
山道
尾根
西側段郭
主郭の段差
主郭
三留城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高50m 】
【感想】 北東の比高50mの五位山頂上が詰城である。西側の切通しから登れそうだったが、猛暑で断念してしまった。
2度目の挑戦であった。墓地から直登し登ってみたが、帰りは虎口状地形から南西の開けた斜面を下り表記番地の左に出たという訳だ。
竹林の尾根を登ってゆくと、段郭があり、頂上に1m位の段差の切岸を備えた主郭がある。その南側にも1m位低い郭が広がっている。堀は見当たらなかった。
【案内】 正寿寺(表記番地)が三留屋敷と呼ばれた居館跡とされ、南東の交差点に説明板が建てられている[マップコード63 423 338*56](地図)。正寿寺の西の高台に気比神社がある。一帯の道路は狭いが、説明板の南側の道路が広く倉庫先に駐車した。
北東の比高50mの五位山頂上が詰城である。
西側の民家(表記番地)の電柱横に墓地へ向かう通路がある[マップコード63 423 427*13](地図)。
15m先を真っ直ぐ行かず南の民家の裏へ右に曲がり、すぐ先を左に曲がり、くねくね登ってゆくと、虎口状の地形に至る。尾根を東に登ると、頂上の主郭に着く。
平成元年(1989年)5月29日、清水町(現福井市)の史跡に指定された。
【歴史】 一乗谷朝倉氏の初代敏景(孝景)の6男景儀(かげのり)の子・孫六郎景冬が築いたと伝えられている。
その後、景冬の弟景総(かげふさ)、その子・景久へと受け継がれた。
景久の子千代雅丸が正寿寺の住職となって父母の菩提を弔ったといわれる。