大草城 (おおくさじょう)
最寄地 愛知県長久手市北浦2586−2 2018.10.23
大草城 (おおくさじょう)
最寄地 愛知県長久手市北浦2586−2 2018.10.23
登城ルート(緑線は車道)
熊野神社入口
城趾碑
熊野神社
空堀
北側の曲輪群
大草城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 長久手市北浦の台地に築かれていた。北側の階段状の畑が主郭に相応しいと思われるが、低い熊野神社に城址碑があり、弧状の堀の向きも反対になっている。
【案内】 県道57号線の池の手前の「大草城趾碑→」の標識があり、そこを右折、北浦集会所手前の道路が広く駐車できる[マップコード30 668 305*48]。南側からの道路は住宅地の間で非常に狭い。
集会所前より南に約200m歩くと、熊野神社(表記番地)があり、入口左に城趾碑が建てられている。
神社北側に弧状の土塁、空堀が残っている。神社境内から北側の畑地にも階段状の曲輪群が見られる(こちらが主郭に相応しいが?)。
【歴史】 鎌倉幕府の御家人・山田重忠により築かれたと云われる。
その後、永禄年間(1558~70年)長久手の土豪・福岡新助によって再築されたと云われている。
天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦いの際、一時的に秀吉軍に利用されたが、その後、廃城となったという。