大熊荒城 (おおぐまあらじょう)
最寄地 長野県諏訪市大字湖南大熊1853 2019.8.17
大熊荒城 (おおぐまあらじょう)
最寄地 長野県諏訪市大字湖南大熊1853 2019.8.17
登城ルート(緑線は車道)
林道沢山線 ・登り口(左側に砂防ダム)
扉前を矢印へ
階段状の主尾根
堀道(この先から右へ)
64鉄塔標識・北郭
堀道右手の荒城標識
北側段郭・切岸
主郭・土塁
南背後の堀切
大熊荒城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 武居城の西約1km、干沢城の西約2.4kmに位置し、北へ伸びた標高1000m付近の尾根上に築かれている。
主郭は小さな家が1軒建つほどの広さで、土塁や浅い堀切、切岸が見られる程度であった。
【案内】 県道16号線「大熊」交差点より南へ50m程行き、左折し中央自動車道を潜って表記番地先から、林道沢山線に入る。
林道をカーブして300m程着くと、擁壁がある手前左手に砂防ダムがあり、そこに駐車できる[マップコード171 898 535*33](地図)。
ガードレールと擁壁の間に写真のような入り口りがあり、そこを登ると擁壁の上に出、フエンス扉に入らず 前を直進すると、鉄塔管理標識がある。2枚目には大熊城趾の記載があり、谷筋を登り、階段状の主尾根の左側を真っ直ぐ、マーキングを頼りに登ると堀道に出る。
堀道が終る付近に無断入山禁止の標識が松に括りつけられ、そこから鋭角に右へ踏み跡を辿ると、主尾根の堀道に出る。
100m程南に堀道を登ると、64鉄塔の標識があり、その一帯が平坦で、北側の郭と思われる。
更に堀道を登ってゆくと、右手崖に「荒城」の標識が建てられている。そこから100m程南に64鉄塔がある。
標識の上が荒城主郭で、北に段郭、南に土塁、浅い堀切が残っている。
【歴史】 文明十五年(1483年)正月八日、大祝諏訪継満は祭政二権を得ようとして、惣領家諏訪政満とその子宮若丸を神殿で饗応し、酔いつぶれたところを謀殺した。
しかし継満の行為は諏訪大社の社家衆の反発を招き、二月十九日、守矢満実・矢崎政継・千野・福島・小坂・有賀ら有力者により継満の干沢城が攻められ、伊那郡高遠へ逃れた。
文明十六年(1484年)小笠原政貞、高遠継宗の援助を得て、武居城を改修して入り、干沢城(安国寺城)の諏訪勢と対峙した。しかし撤退を余儀なくされた。
文明十八年(1486)、大祝諏訪継満は、この荒城を築城して諏訪復帰の機会を狙っていた『諏訪御符礼之古書』。