真篠城 (まじのじょう)
最寄地 山梨県南巨摩郡南部町福士1281 2015.8.23
真篠城 (まじのじょう)
最寄地 山梨県南巨摩郡南部町福士1281 2015.8.23
登城ルート(緑線は車道)
大手口
搦手虎口
食い違い虎口
主郭・祠・土塁
北腰郭・主郭
南腰郭
南郭北の堀切
南の郭
真篠城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 国道52号線「富栄橋西」交差点より西へ行きすぐ右折し、約60m付近より北に細い道路を「真篠・向田」方面へ約700m行くと三叉路に「真篠城跡駐車場」の標識がある。西側には中部横断自動車道工事の最中である。
右折して公民館前を約200m行くと左手に「真篠砦の遺構」の説明板・縄張り図が建てられている[マップコード483 627 245*14] (表記番地の先)。
さらに約100m行き、左折し細い道を約200mゆくと「大手口」の標識があり、その先に駐車場がある(地図)。
大手を登ってゆくと、腰郭に出、左に大手虎口があるが、草木が茂っているので右に登って標高259m比高約50mの山頂の搦手虎口、主郭跡に至る。
主郭は東西約43m南北約41mの土塁に囲まれ、祠が2つある。大手虎口の食い違い土塁が残り、角馬出しがある。主郭の下段には腰郭があり、さらにその下に帯郭(段郭)がある。北にゆくと北の郭があり堀切がある。
公民館の東横より登ってゆくと南の郭があり、畦形阻塞がある。主郭と南の郭の北には深い堀切があるが、草木に覆われている。
下山後、住民の方から蛭が多いと注意され靴を脱ぐと案の定、蛭が5、6匹貼りついていた。特に竹の落ち葉の下は注意したほうが良い。
また、南山麓には近年発見された20数条の畦形阻塞があるとのことであった。余談だが、カーナビにはこの付近の道路が載っていなかった。
【歴史】 天文・永禄年間(1532~1569年)に武田信玄の命により構築され、家臣原大隅守が警護したといわれ、城山全体が砦(山城)としての遺構を備え、甲斐、駿河の国境の守備と周辺の砦との連絡の拠点であった。『南部町教育委員会説明板』より。