小瀬戸城 (こぜとじょう)
所在地 静岡県静岡市葵区小瀬戸 2018.7.10
小瀬戸城 (こぜとじょう)
所在地 静岡県静岡市葵区小瀬戸 2018.7.10
登城ルート(緑線は車道)
北の出丸跡
大手道の階段
振り返った新東名と藁科川
2郭
主郭手前の堀切(横から)
竪堀
主郭
城趾碑
小瀬戸城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 安倍川の支流藁科川右岸の標高174.1mの山頂に築かれ、北西の2郭との間に堀切・竪堀が残っている。北西端に出丸があったというが、舗装され柵が設けられている。
【案内】 「新東名高速道路」下の県道209号線より「静岡SA」へ向かう道路に入り、橋を渡ってすぐ左に道がある。または静岡上りスマートICより出て北へ400m行くと、同じ分岐点に出る[マップコード25 515 500*53](地図)。
新東名の「新静岡7トンネル」を潜り、左へ60mほどで行き止まりとなり、広くそこに駐車できる。
北へ行き階段を上り、出丸跡を折り返し登ってゆくと、放置され伸び放題の茶畑に着く。
その先に堀切があり竪堀につながっている。上段に主郭があり、木立の中に城趾碑と「小瀬戸城の記」の石碑、石垣の説明板が建てられている。
【歴史】 建武の中興が敗れた折り、安倍城の支城として狩野貞長によって築かれた。後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)・興良両親王を迎えたこともあり、南朝方の拠点の一つとなり、北朝方の駿府今川氏と相対していた。
永享五年(1433年)今川氏の攻撃を受け本城と共に落城した。今川氏は朝比奈氏に守らせたが、永禄十一年(1568年)駿河に侵攻した武田勢は今川氏真を追って藁科路を進み、小瀬戸城の守兵の反撃を受けたと伝えられている。