天神山城 (てんじんやまじょう)
最寄地 富山県魚津市小川寺1070 2014.10.4
天神山城 (てんじんやまじょう)
最寄地 富山県魚津市小川寺1070 2014.10.4
入口
青山父子の墓
二の丸・弘法大師教会場
本丸・大師堂
本丸・土塁
本丸・土塁・祠
天神山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道330号線より南西に行った魚津歴史民俗博物館(表記番地)の東の天神山にある[マップコード144 864 697*23] 。北に吉田記念郷土館が建てられている。
登ると「青山佐渡守・青山豊後守父子の墓」があり、その先の崖崩れで博物館裏に被害があり休館となっている。
更に登ると二の丸跡に「弘法大師教会場」が建てられている。本丸跡に「光学坊天神山弘法大師堂」が建てられ、一段高い所に鉄塔、台型看板が建てられ、土塁が残り、その上に祠がある。
片貝川に面した本丸南側山腹に曲輪や竪堀が残っている。
天神山はかって松尾山と呼ばれていたが、明応二年(1493年)室町幕府十代将軍・足利義材(よしき・後に改名して義尹(よしただ))が都の乱を逃れて小川寺の寺院・光学坊に二ヶ月ほど身を隠した際に菅公像(天神様)を残し、後に松尾山に祀られたので「天神山」と呼ばれるようになったと伝えられている。
昭和三十八年(1963年)4月1日、魚津市の史跡に指定された。
【歴史】 天文二十三年(1554年)上杉氏により松倉城の支城として築城されたとされる。
城の範囲は現在の2㎞北東の金太郎温泉(魚津市天神野新6000)近くまであったと推測される。
安土桃山時代には、上杉謙信がここを越中攻めの拠点として長尾景直を城主として送り込んだ。
天正十年(1582年)の魚津城の戦いの際には上杉景勝が入城し、陣を敷いた。
本能寺の変の後、前田利家配下の青山佐渡守・豊後守親子が城代として入城したが、後に廃城となった。