七尾城 (ななおじょう) (松尾城・末尾城) (国の史跡・日本100名城34)
最寄地 石川県七尾市古屋敷町シカマ藪8-1 2013.7.10
七尾城 (ななおじょう) (松尾城・末尾城) (国の史跡・日本100名城34)
最寄地 石川県七尾市古屋敷町シカマ藪8-1 2013.7.10
石垣・本丸下
説明板
本丸の段状石垣
本丸の段状石垣
本丸跡・城址碑
城址碑
二の丸跡
調度丸跡
七尾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 七尾城史資料館(表記番地)の東の県道177号線を南に3.7km行った右手に専用駐車場が用意されている[マップコード135 628 677*83]。
徒歩200mほどで本丸の下に着く。石垣は段状に築かれ、その保存状態は良く、本丸には石碑が立てられ、城山神社があり、本丸からは七尾市街や大田火力発電所などが望める。
石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約300mの山頂を削平して本丸を置き、急峻な地形を巧みに利用し、東に長屋敷、北に調度丸、西に桜馬場、西の丸、二の丸、三の丸を構えた規模雄大な山城である。
日本五代山城(春日山城・月山富田城・観音寺城・七尾城・小谷城)の一つである。
昭和九年(1934年)12月28日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(34番)に選定された。
【歴史】 正長年間(1428~29年)頃に能登国の守護であった畠山氏の三代当主・畠山満慶が築いたと思われるが詰の砦程度の規模とみられ、守護所は七尾市府中に置かれていた。
次第に拡張され5代当主畠山慶致の頃には守護所も七尾城に移されたという。8代義続、9代義綱の頃には能登で戦乱が続いたため増強され最大の縄張りとなった。
天正四年(1576年)十一月、上杉謙信が攻め包囲したが1年にわたって持ちこたえた。しかし重臣の長続連(ちょうつぐつら)、遊佐続光、温井(ぬくい)景隆らの対立で、若年の12代当主畠山春王丸はこれを収められず(城内で発生した疫病に罹って死去)、最終的に遊佐続光の内応により徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、翌年九月十三日に開城された(七尾城の戦い)。
上杉氏の後、織田信長に領され城代として菅谷長頼が入り、本能寺の変後、天正九年(1581年)、前田利家が七尾城に入城した。
しかし、既に山城の時代ではなく、翌天正十年(1582年)小丸山城を築いて移り、しばらくその子・前田利政が城主となっていたが、天正十七年(1589年)廃城となった。