大草城 (おおくさじょう) (村の史跡)
最寄地 長野県上伊那郡中川村大草5003 2017.9.8
大草城 (おおくさじょう) (村の史跡)
最寄地 長野県上伊那郡中川村大草5003 2017.9.8
村道よりの入り口・石碑
北側の城址標柱
北東下段の広場
西側下段の桜の広場
主郭・城址の丘
大草城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 天竜川の左岸、大嶺山から西に伸びる標高606.5mの尾根先端部にあり、遺構は少ないが、「大草城址公園」として整備されている。
広い城址の丘と呼ばれる主郭を中心に、下段の北側にわんぱく広場・駐車場、西側に桜の広場、南側に四季の広場が設けられている。
【案内】 県道18号線(伊那街道)「下平」交差点より、東に村道を約700m行き右折、南に300mほど行くと、大草城址公園入口があり、駐車場が用意されている[マップコード143 473 057*44]。
【歴史】 築城年代は定かではないが、南北朝時代に滋野氏の一族香坂氏によって築かれたと云われる。
その香坂氏の庶流が南北朝時代に大河原城を居城とした香坂高宗で、興国四年(1343年)後醍醐天皇の第8皇子宗良親王を迎え、三十年余にわたって庇護した。
この香坂氏の一族が大草氏を称して大草城主となったとみられ、大草香坂左衛門有宗などの名が残る。
大草城は、天竜川を挟んだ北朝方の船山城(片切氏)や飯島城(飯島氏)と対峙していた。