治田城 (はったじょう)
所在地 三重県いなべ市北勢町麓村 2020.9.27
治田城 (はったじょう)
所在地 三重県いなべ市北勢町麓村 2020.9.27
登城ルート(緑線は車道)
溜池堤防・城跡標柱・説明板
説明板
神社・この先を左尾根へ
北側の郭切岸・堀道
東の郭
東郭主郭間の空堀
主郭・右が櫓台
主郭西の土塁・櫓台
西側堀切
治田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 いなべ市北勢町麓村にある標高約168mの城山に築かれている。東郭と空堀で隔てた細長い主郭の西端に櫓台があり、背後に堀切がよく残っている。
【案内】 いなべ市北勢町麓村362溜池堤防前に説明板[マップコード290 165 327*10]。堤防を通って南の神社先から左の尾根に登ると(地図)、堀道が現れ北東の郭とその上の広い2郭に着く。
そこからやや右に行くと東に空堀で仕切られた郭があり、西側に主郭がある。西端に土塁に続く櫓台、深い堀切が残っている。
平成十五年(2003年)3月3日、北勢町(現四日市市)の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は不明であるが、城主として治田五兵衛、治田山城高明父子の名がある。
永禄年間(1558~70年)には楠正成の子孫・楠正具が居城した。
永禄十年(1567年)に織田信長の家臣の滝川一益に攻められたが持ちこたえた。しかし、天正年間(1573~92年)に織田信長によって攻められ降伏した。