福谷城 (うきがいじょう)
最寄地 愛知県みよし市福谷町市場61−2 2022.10.10
福谷城 (うきがいじょう)
最寄地 愛知県みよし市福谷町市場61−2 2022.10.10
説明板
県道からの入り口の道標
南側の2郭
西側空堀・主郭切岸
主郭入口
主郭・説明板・土塁
北側土塁
北側横堀
福谷城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 みよし市福谷町市場の低丘陵に築かれ、住宅地の中に在って方形の主郭部が残っている。Ⅼ字型に土塁、空堀が残っている。
【案内】 南西を通る県道231号線に城跡道標があり、「みよし市立城山保育園」(表記番地)の南道路脇に駐車スペースがある[マップコード30 402 161*27]。
階段を登るとすぐ主郭があり説明板が建てられている。
【歴史】 福谷城主は、地元の土豪原田氏重の名が伝わり、後に徳川四天王の一人酒井忠次に代わった。
弘治二年(1556年)織田信長の武将柴田勝家によって攻撃されたが、大久保忠勝・阿部忠政・大久保忠佐らの援軍を得て、激戦の末追いやった。