龍岡城 (たつおかじょう) (桔梗城) (国の史跡)
所在地 長野県佐久市田口300 2013.11.23
龍岡城 (たつおかじょう) (桔梗城) (国の史跡)
所在地 長野県佐久市田口300 2013.11.23
北側堀・土塁
城跡北東・橋・石碑
説明板
虎口・田口小学校
田口小学校
北東堀・土塁
北西堀・土塁
龍岡城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 八ヶ岳高原線の龍岡城駅と臼田駅の中間の東1㎞に位置している。高さ二~三mの石垣を星形にめぐらした平城で、その外に四、五m幅の堀で囲まれている。南西方面に堀は見当たらない。
五稜郭であいの館(佐久市田口2975−1)に駐車場が用意されている[マップコード292 090 259*05]。
五陵の石垣には武者返しが頂部にあり石垣の直線が美しい。土塁には桜が植えられ、敷地に御台所櫓が移築現存し、田口招魂社、田口小学校(表記番地)が建てられている。
堀のある凹部に三枚の木橋が架けられている。城跡の北東の橋の外に石碑、看板が立てられ、その北に歴史館「五稜郭であいの館」がある。武者返しの石垣は、函館五稜郭、人吉城に見られる。
昭和九年(1934年)国の史跡に指定された。
【歴史】 信濃国と三河国に領地を有し、宝永以来160年間続いていた三河奥殿藩の八代藩主・松平乗謨(のりかた)は、幕末激動の情勢に応じて、信州に龍岡城築城を計画し、元治元年(1864年)三月着工、慶応三年(1867年)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。
用地1万坪、石材、木材等献納によって賄われ費用は当時の金額で4万円であった。
明治元年松平乗謨は大給恒(おぎゅうゆずる)と改名した。
明治五年、城は壊されたが、堀、石垣、御台所櫓が残された。御台所櫓は、農機具倉庫として使用後、地元有志によって小学校設立の際、校舎として活用され、築城当時と反対方向に移築された。
移築建造物としては、大広間が佐久市鳴瀬落合の時宗寺の本堂として、東通用口が佐久市野沢の成田山薬師寺の門として、それぞれ移築され現存している。また、薬医門と塀が市内の個人宅に移築されている。