秋山光朝館 (あきやまみつともやかた) (市の史跡)
所在地 山梨県南アルプス市秋山603 2025.6.29
秋山光朝館 (あきやまみつともやかた) (市の史跡)
所在地 山梨県南アルプス市秋山603 2025.6.29
説明板
西側の堀跡
熊野神社
熊野神社
秋山太郎光朝公館の標柱
神社東側
秋山光朝公廟
左から光朝・遠光・光朝夫人茂子の墓(推定)
秋山光朝館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 東西約120m南北約60mの独立丘陵にあり、熊野神社の境内となっている。
遺構は少ないが西側の道路が堀跡のように思える。
【案内】 南アルプス市秋山にある熊野神社(表記番地)の境内となっている[マップコード312 878 533*03]。
境内には館跡の標柱や説明板が建てられている。
南にある光昌寺(秋山567)の墓地の南に加賀美遠光、秋山光朝夫妻の五輪塔がある (地図)。また秋山家発祥の地碑や秋山光朝公廟が建てられている。
昭和44年11月13日、アルプス市の史跡に指定されている。
【歴史】 秋山光朝は武田の始祖・武田信義の弟である加賀美遠光の嫡子として、保元三年(1158年)頃、加賀美の館で生まれた。
始め、加賀美太郎と云われたが、大井の庄を支配するに及んで山裾の要害地秋山に館を構え秋山太郎と称した。
光朝は平時京都に在って平氏に仕え、平清盛の子・知盛に属し又清盛の長男重盛の娘重子を妻とした。
治承四年(1180年)十月の源氏旗揚げの際、遅参し頼朝の不信を買った。また木曽義仲と通じていた為、文治元年(1185年)鎌倉勢に攻められ背後の雨鳴城で自害したと伝えられている。