狩野城 (かのうじょう)
所在地 静岡県伊豆市本柿木 2014.7.1
狩野城 (かのうじょう)
所在地 静岡県伊豆市本柿木 2014.7.1
登城ルート
二重堀
中郭・土塁・碑
本郭西堀切
本郭・土塁
狩野城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 下田街道(国道136号)柿木橋の北より市道を西に約500m行った南に「狩野城跡」駐車場がある[マップコード116 066 284*50] (地図)。
南に100m行った地点の登り口を南西に登ってゆくと「西郭」の曲輪がある。東に行くと「二重堀」があり渡ると「本郭」がある。約10m四方の曲輪北に土塁、南と東は崖・堀切となっている。
本郭の東に「中郭」(地図)があり、北の土塁上に「狩野介茂光公保壘之碑」(大正十一年)の石碑が立てられ、南に「題目堂」があり、中郭に続いて「南郭」がある。中郭の東に「東郭」、「出丸」が堀で隔てられ並んでいる。空堀等の保存状態は良好である。
【歴史】 平安時代末(1100年頃)狩野氏によって築かれた。狩野維景は初め駿河守に任じられ狩野荘日向の堀之内に館を構えたが、その子狩野維職が伊豆押領使を務めるなど、軍事上の必要もあり、要害のこの地を選んでこの地に移った。最初の城主は二代維職か三代維次と思われる。
維景より5代の孫・狩野介茂光はその子・親光と共に源頼朝に仕え、治承四年(1180年)石橋山の戦いに敗れ自刃した。
その子孫は鎌倉、室町両幕府に伊豆を代表する武将として仕えた。元暦元年(1184年)親光は平氏を迎え撃つため遠江に出陣し、文治五年(1189年)親光・行光は源頼朝の奥州征伐に出陣し、八月九日親光は阿津賀志山の戦いで戦死した。行光は活躍し九月十二日陸奥国岩井郡を拝領した。
戦国時代の延徳三年(1491年)北条早雲が旗揚げ挙兵し、明応二年(1493年)からの伊豆侵攻の折、城主・狩野道一は足利方に付き戦い、明応七年(1498年)早雲に攻められ開城した。
その後一族は小田原に移り、後北条氏の重臣として要職を歴任した。
室町時代中頃から絵師として栄えた狩野派の初代・狩野正信(1434年生)は維景から十六代の孫である。その後元信(1476年生)、永徳(1543年生)、探幽(1602年生)、常信(1636年生)などの絵師を輩出している。『伊豆市教育委員会説明板』より。