若山城 (わかやまじょう) (亀山古城)
最寄地 三重県亀山市若山町7−30 2019.7.9
若山城 (わかやまじょう) (亀山古城)
最寄地 三重県亀山市若山町7−30 2019.7.9
説明板
亀山古城趾の碑
説明板
北側段郭
南側切岸
主郭跡
若山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 亀山城の北西約400mに位置する小山に築かれていた。
南西側は住宅地となり消滅しているが、山頂部付近は切岸が見られ、北側に階段状の平坦地が残っている。
【案内】 「亀山市歴史博物館」(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード213 384 632*04]。
南側の小山が若山城址で、歴史館裏から城跡北側に行き、右に反時計回りに行くと、民家裏に出、そこから斜めに登ってゆける。
また、城跡の南側に位置する道路に面し「亀山古城趾」の石碑、説明板が建てられている(地図)。
【歴史】 亀山藩の大庄屋打田権四郎昌克編の『九々五集』によると、この地の領主・関左近将監実忠が、文永二年(1265年)若山の地に築城したと記されている。
以後、関氏累代の居城であったが、元亀四年(1573年)城主関盛信が織田信長の怒りに触れ蒲生氏郷に預けられ、若山城は信長の子・神戸信孝に与えられた。
天正十一年(1583年)潤正月の羽柴秀吉の攻城に際し、城将・佐治新助はよく防戦したものの、加藤清正・山内一豊・細川忠興等の猛攻により落城した。秀吉方に付いていた元城主関盛信の子・一政が若山城主となった。
その後、関一政が陸奥白河に移され、天正十九年(1591年)新城主となった岡本良勝が亀山城を築き、若山城は廃城となった。