阿寺城 (あでらじょう)
最寄地 岐阜県中津川市手賀野746-147 2017.8.23
阿寺城 (あでらじょう)
最寄地 岐阜県中津川市手賀野746-147 2017.8.23
登城ルート(緑線は車道)
水神神社先から登る
北東の尾根・堀切
堀切
3郭
2郭
主郭
土塁・御嶽神社
南尾根2番目の堀切
南尾根3番目の堀切
阿寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 東を中津川が流れ、西側を深い谷川で遮られた標高568m、比高170mの尾根先端部に位置している。
登り口が判りにくく、標識など見当たらず、唯一の頼りはピンクのテープだけであった。堀切、郭などよく残っているので、遊歩道整備が待たれる。
【案内】 国道363号線より中津川を渡り西に行った表記番地先の、砂利道に入り南に行く。用水路脇を200mほど行くと、左に水神神社があり、その20m南に登り口がある[マップコード178 166 666*68](地図)。
ピンクのテープがあり、砂防ダムの左側より取り付く。尾根に出、急な尾根道を登る。ピークを越えると、土橋風の尾根道となり、堀切を越え、再び急な坂を登ると北側に位置する3郭の平坦地に着く。
3郭の北西側に大きな石を並べた虎口があり、南に階段状に2郭、主郭と続いている。主郭の北と南に堀切があり、特に南側は保古山からの侵入を防ぐための三重堀切となっている。
主郭には石段、土塁があり御嶽神社が祀られている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、戦国時代、遠山友忠が飯羽間城から入城している。千旦林城と共に遠山18支城の一つ。
しかし苗木城を守っていた父遠山友勝が没したため、友忠は子・友重に阿寺城を譲り苗木城に移った。
天正二年(1574年)甲斐武田勝頼の攻撃により友重は奮戦したが落城、遂に討死した。そのまま自然廃城となった。