日方江城 (ひかたえじょう)
所在地 富山県富山市日方江914 2014.10.5 2014.10.23
日方江城 (ひかたえじょう)
所在地 富山県富山市日方江914 2014.10.5 2014.10.23
南側遠景
土塁・説明板
土塁
説明板
そうけ塚
そうけ塚説明板
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 了照寺(表記番地)敷地となり、了照寺入口に「説明板」が建てられ、私有地につき寺の了解を得る注意書きがある[マップコード144 601 439*02] (地図)。
境内の西から南にかけて高い土塁と空堀が残り、外側は水田となっている。西は窪田川、東は琵琶川の沼地、北は日本海と天然の要害に囲まれ、浜街道の要所に在る。
境内を中心に南北約80m東西約70mが城跡とされている。
北方に在る天神社(日方江1405−1)に河田長親が大村城を攻略する際に築造した「そうけ塚」が残されている[マップコード144 601 744*35] (地図)。
【歴史】 安土桃山時代の天正年間(1573~92年)以前に大村城の出城として築かれたと云われる。
轡田豊後守の居城・大村城の東400mに位置し、轡田家の家老、もしくは江上重左衛門(萬十郎)の居城であったとされている。
江上氏についてはよく判っていないが、圓照寺(滑川市堀江1106)の由来に、寺の創建者は越中国松倉城の元家老であり、その弟が日方江に江上氏を立てたと伝わっている。
天正六年(1578年)上杉方の松倉城主・河田長親が大村城を攻め落とし、その後大村城が史料から見えなくなる事から、日方江城もまた城としての存在価値を失ったと云え、この時期には廃城となったと思われる。