牧野城 (まきのじょう)
所在地 愛知県豊川市牧野町丁畑35 2017.3.26
牧野城 (まきのじょう)
所在地 愛知県豊川市牧野町丁畑35 2017.3.26
説明案内板
土塁・説明案内板
平坦地・土塁
西側土塁
土塁・空堀(民家側)
牧野城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 豊川の旧河道の西側にあったといわれ、南西側から南側の土塁がよく残っている。
【案内】 ビニルハウスのならぶ田園の中、表記番地の北にある[マップコード43 544 586*26]。
L字型に高さ2~3mの土塁が残り、南の民家側に浅い空堀が残っている。周囲より1mほど高い掻揚城で、説明案内板が建てられている。
平成七年(1995年)2月23日豊川市の史跡に指定された。
【歴史】 応永年間(1394~1428年)足利将軍義持により三河国中条郷牧野の地頭に任じられた田口(田内)伝蔵左衛門成富が、讃岐より移り築城した。
成富の子成時(古白)は、この地方で勢力を拡大し、明応二年(1493年)に一色城(豊川市牛久保)の城主波多野全慶を討った。
同年瀬木城を築き、地名に因んで牧野氏を称するようになったとされる。
その後、成時は、永正二年(1505年)南方約6kmに今橋城(後の吉田城)を築いて移った。同年牧野城は廃城となった。