桜洞城 (さくらぼらじょう) (市の史跡)
最寄地 岐阜県下呂市萩原町桜洞1887 2017.8.25
桜洞城 (さくらぼらじょう) (市の史跡)
最寄地 岐阜県下呂市萩原町桜洞1887 2017.8.25
南側農道(突き当りに標柱あり)
城跡標柱
土塁
空堀
石積み
高山本線
桜洞城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 高山本線の東、飛騨川に合流する桜谷川の南にあり、田圃として大部分は開墾され、消滅している。わずかに北西の空堀、土塁、石積みの残骸が見られる程度となっている。
【案内】 表記番地先の交差点を北に曲がり、70m北を左に300mほど行く。右に曲がるとビニールハウスの先に「桜洞城跡」の標柱が建てられている[マップコード361 775 261*41]。
高山本線「飛騨萩原駅」から線路を目印に歩いて、20分程で来れる。北側にある桜谷公園からも登って来れる。
城跡の北西部の空堀、土塁が見て取れる。下呂市の指定史跡となっている。
【歴史】 4代三木直頼の頃、桜洞城を築いてそれまでの宮地城より移った。
飛騨を支配した三木自綱が、天正七年(1579年)に松倉城を築城して居城を移すまでの間、三木氏の居城であった。
その後、松倉城の支城となって自綱の子信綱が城主となっが、謀反の疑いで松倉城にて謀殺された。
以後、城主は不明であるが、冬の拠点としたため冬城とも呼ばれ、天正十三年(1585年)に金森長近に攻められ落城した。萩原諏訪城が築かれると廃城になった。
『飛州志』所載の城図によれば、かつては東西144m、南北180mの規模で、周囲を空堀に囲まれ、北と東にはさらに二重の空堀が存在した。
この城図や現在の遺構の示すその形状は居館であり、別に詰の山城があったと考えられるが、見つかっていない。