大平城 (おおだいらじょう) (大退羅城) (市の史跡)
最寄地 静岡県浜松市浜北区大平36 2014.6.14
大平城 (おおだいらじょう) (大退羅城) (市の史跡)
最寄地 静岡県浜松市浜北区大平36 2014.6.14
説明板
登城ルート
五体力神社参道・城跡登り口
五体力神社・登り口(右側)
本曲輪下・城址碑
本曲輪
北曲輪
北曲輪
大平城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 新東名高速道路「NEOPASA浜松」無料駐車場(表記番地)の進入路のある県道68号線交差点より、東に約200m行くと駐車場があり、五体力神社の石段がある[マップコード26 645 092*85](地図)。石段を登ると「五体力神社」が祀られ、拝殿の東から登山道となる。
しばらく登ると「出曲輪」跡があり、いったん下って再び登ってゆくと「大平城跡」の碑があり、その上段、比高70mの山頂に「本曲輪」がある。
一段下がって「西曲輪」、「北曲輪」、「東曲輪」があり、尾根上に堀切や小曲輪が点在する。
昭和四十七年(1972年)8月30日、浜松市の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、南朝方についた引佐(いなさ)町にあった三嶽城の支城として井伊氏によって築城された。
井伊氏の支城には他に、南の鴨江城(浜松市)西に千頭峯城(三ヶ日町)がある。後醍醐天皇の皇子・宗良親王は井伊市氏の協力を得て遠江に在ったが、暦応二年(1339年)北朝の高師泰(こうのもろやす)は大平城に侵攻し、高師兼は浜名方面に侵攻した。
七月に鴨江城が落城し、十月に千頭峯城が落城した。暦応三年(興国元年・1340年)正月に三嶽城が足利勢に攻められ落城したため、親王は大平城に入った。
しかしこの城も高師泰・仁木義長らに攻められ八月に落城し、親王は信濃へ落ち延びたと伝えられている。(三ヶ日町の大福寺に残る『瑠璃山年録残編裏書』による)その後大平城は歴史上、記録上も登場することはなかった。