石動山城 (せきどうざんじょう) (国の史跡)
最寄地 石川県中能登町石動山ラ‐1‐2 2014.10.26
石動山城 (せきどうざんじょう) (国の史跡)
最寄地 石川県中能登町石動山ラ‐1‐2 2014.10.26
登城ルート
大宮坊・御成門・勅使橋
東林院跡
堀道・道標
空堀・虎口
主郭跡・土塁・標識
主郭跡・土塁
石動山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 「石動山資料館」(表記番地)の横に駐車場が用意されている[マップコード135 477 040*76]。
大宮坊の南石垣に沿って東に行き、東林院跡の西を300m程登って行くと、空堀・土橋があり、虎口の先に標高約520m比高約70mの山頂に主郭跡があり、「石動山城跡」の標識が立てられている。
また、東林院跡の南、一段高い御廟山に「智徳上人五輪塔」や「前田家十三代供養塔」がある。
能登半島の基部、石川県と富山県の県境にある標高564mの山で、古代以来近世に至るまで山岳信仰の道場として、消長を遂げた山である。伊須流岐比古神社が建っている。
平安時代末期に白山信仰勢力と、室町時代に能登守護畠山氏と、江戸時代後期に金沢藩主前田氏と関係が深く、山内には多数の堂塔が建てられていた。
昭和五十三年(1978年)10月25日、国の史跡に指定された。
【歴史】 天正十年(1582年)六月二十六日、荒山合戦の翌日、石動山が前田利家の攻撃により、全山焼き打ちされた(石動山合戦)。