高島古城 (たかしまこじょう) (茶臼山城)
所在地 長野県諏訪市大字上諏訪桜ケ丘9496 2019.8.18
高島古城 (たかしまこじょう) (茶臼山城)
所在地 長野県諏訪市大字上諏訪桜ケ丘9496 2019.8.18
登城ルート(緑線は車道)
城跡碑・案内図
茶臼山配水池
県営住宅・説明板
説明板
県営住宅の南西側公園
高島古城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 桜ケ丘県営住宅が主郭で、一段下がった北西の茶臼山配水池が2郭である。
遺構は消滅しているが、県営住宅の東西の切岸状崖が、城址の雰囲気を漂わせている。
【案内】 上諏訪桜ケ丘にある桜ケ丘県営住宅(表記番地)に向かう道の角に城跡碑、案内板が建てられている[マップコード218 750 212*58](地図)。
茶臼山配水池前を少し行くと、桜ケ丘県営住宅入口に説明板が建てられている[マップコード218 750 121*20]。その先の住宅の東側道路隅に駐車できる。
【歴史】 築城時期は不明だが、文明十五年(1483年)上社の内訌に呼応した下社金刺氏によって落とされた。
天文十一年(1542年)七月に諏訪頼重が甲斐の武田晴信(信玄)に滅ぼされる。諏訪は武田氏の領有するところとなり、天文十八年(1549年)統治の本拠地を上原城から高島古城(茶臼山城)へ移した。
天正十年(1582年)武田氏が滅亡すると、上社の大祝・諏訪頼忠が復帰し茶臼山城へ入城した。
天正十二年(1584年)諏訪頼忠は、茶臼山城から金子城に移った
天正十八年(1590年)、金子城に居た頼忠は、武州奈良梨陣屋へ移封された。
代わって、諏訪に入った秀吉の武将・日根野織部正高吉は、茶臼山城に入り、天正二十年(1592年)新たに高島城の築城を開始、完成後移り、茶臼山城は廃城となった。